



生理不順と下腹部の違和感…勇気を出して産婦人科へ
ここ数カ月、生理周期が乱れ、量も不安定。さらに下腹部にずっと違和感がありました。
「これはさすがにまずい」と思い、産婦人科の受診を決意。
正直、行きたくなかった。
産婦人科の診察台は、何度経験しても緊張するし、痛みや羞恥心がつきまとう場所。
それでも、体調を優先するしかありませんでした。
年配の男性医師と、耐えがたい診察時間
診察してくれたのは、年配の男性医師。
物腰は柔らかかったのですが、内診が始まった瞬間、全身がこわばりました。
器具が挿入された途端、痛みと不快感で呼吸が浅くなる。
ぐりぐりとされる感触に、思わず涙があふれそうになる。
「痛い、怖い、恥ずかしい」——そんな感情が一気に押し寄せ、早く終わってほしいと祈るばかりでした。
声を出して泣いたわけではありませんが、診察台の上で心は限界に近づいていました。
彼に話したときの“温度差”
なんとか診察を終えて帰宅。
彼氏にこう話しました。
「生理不順で産婦人科に行ってきた。検診が死ぬほど痛かった…」
「器具とか入れられるし、ぐりぐりされるし…本当に無理って感じ」
すると返ってきた言葉は——
「そんな痛いんだ…てか先生って男なの?」
「産婦人科やってる男ってちょっと変じゃない?美人きたら絶対変な目で見てるって」
「ま、大丈夫だったらよかったじゃん。出産の方がもっと痛いんだし」
私は言葉を失いました。
共感や労いの言葉ではなく、男性医師への偏見と、痛みの軽視。
「これが、男女の違いなのかもしれない」と静かに思いました。
心理学から見る「共感の欠如」
心理学には**認知的共感(Cognitive empathy)**という概念があります。
これは、相手の立場に立って気持ちを想像する力のこと。
自分が経験したことがなくても、相手の感情を推し量る能力です。
しかし、男性の多くは産婦人科の内診や生理痛など、女性特有の身体経験を想像する機会がほとんどありません。
結果として、こうした場面で「無神経」に聞こえる発言をしてしまうことがあります。
さらに彼の「出産の方が痛い」という発言は、心理学的に**感情の矮小化(Emotional minimization)**にあたります。
これは、相手の苦しみを「たいしたことない」と無意識に軽視し、感情表現を封じる行為です。
このような反応は、本人に悪気がなくても、相手に「分かってもらえなかった」という深い孤独感を残します。
痛みの比較は、寄り添いを遠ざける
痛みは、経験した本人にしかわからない主観的なものです。
「出産の方が痛い」や「もっとつらい経験がある人もいる」といった比較は、相手の痛みを正当化するどころか、心の距離を広げます。
人は、痛みの大小を競うのではなく、**「その痛みを一緒に感じようとする姿勢」**によって安心感を得ます。
本当にほしかったのは「共感の言葉」
あの日、私が欲しかったのは医学的なアドバイスでも、偏見まじりの感想でもありません。
ただ、「痛かったんだね」「怖かったよね」というシンプルな共感だけでした。
心理学者カール・ロジャーズは、人間関係を深める要素として**「共感・受容・自己一致」**を挙げています。
特に共感は、「相手の心を理解しようとする行動」が伴わなければ成立しません。
男女の違いを超えるには「想像力」が必要
確かに、男女には身体的にも社会的にも違いがあります。
男性は女性特有の痛みを直接経験できません。
しかし、それは「わからない」で終わらせていい理由にはなりません。
むしろ、違いがあるからこそ、想像し、質問し、寄り添おうとする努力が必要です。
もし彼が「それは怖かったね」「痛みが長引いてない?」と声をかけてくれていたら、私の中に残った孤独感はずっと小さかったでしょう。
まとめ|「これが男女の違い」で終わらせないために
- 男女の身体経験の差は埋められないが、共感力は鍛えられる
- 痛みやつらさの比較は、相手を黙らせ、孤独にさせる
- 本当に必要なのは、解決策よりも「寄り添う言葉」
- 共感は、相手を理解しようとする想像力から生まれる
彼に悪気がなかったことは理解しています。
でも、無意識の一言は、悪意よりも深く人を傷つけることがあります。
「男女の違い」という壁は、想像力と共感でしか超えられません。
その一歩を踏み出すことが、私たちの心を近づける唯一の方法だと感じています。


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